今回は中国で生まれた鍼灸治療が、日本に伝来したときのエピソードに触れてみます。
ブログの題名はビートルズの日本公演をモチーフにしました。
なんか、
「伝統的な事柄を書くときは、落ち着いた印象で書く」
ことが一般的になってますが、
伝統的な事柄、たとえば、
日本人が初めて象さん(ぞうさん)をみたとき
大パニックになったと思うんですね。
キリンはどうでしょう
すき焼きなんか食べた日には、脳に火花が散ったでしょうし、
僧侶の鑑真が死線を越えて、6回目の渡航でやってきた時(西暦753年:鑑真65歳)なんか、
たどり着いた平城京や東大寺では、現代のビートルズ並みの話題をさらっていったのではないでしょうか
さて、鑑真は遣唐使の帰国便にのって、渡来してきたとされていますが、
鍼灸は同じ遣唐使や遣隋使(六世紀~八世紀ごろ)が持ち込んだ、
あるいは、
朝鮮半島から五世紀に渡来した(日本書紀に記述あり)
朝鮮半島から六世紀に伝えられた
など諸説ありますが、鍼灸師の間では700年ごろ、1300年前には既に伝えられていたというのが通説です。
歴史的な記録もあります
日本初の律令制度「大宝律令(710年)」の中に、医博士・医師などとともに、鍼博士・鍼生などの官職が設けられているからです。
まさに、なんとびっくり!覚えやすい!
少なくとも、1300年前には伝来していたのです
そして、
官職であった、鍼博士・丹波 康頼(たんばのやすより)が日本現存最古の医学全書『医心方』を編纂しています。
中国の多くの医学書をもとに全30巻からなり、そのうち2巻は鍼灸に関することが記されています。
丹波康頼さんは、丹波哲郎さんのご先祖さん!
NHKのご先祖をたどる番組「ファミリーヒストリー」でも
丹波康頼さんのことに触れていました。
鎌倉時代(12世紀~14世紀)では、
医療は、学識者であった僧侶(僧医)が行っており、
僧侶・梶原 性全(かじわらしょうぜん)が薬方と灸法を中心とした医学書『万安方』や『頓医抄』を書き記しています。
日本に鍼灸や漢方がやってきたとき、
どんな雰囲気だったのでしょうか?
タイムスリップして見てみたいです。
その当時から、
現在まで、1300年の間
鍼灸は日本で、医療の一翼を担ってきた
その歴史的な責任が僕の手の中にある
と思うと、もっともっと深く学び続けていこうと思いを強くします。
リビングより
岐阜県本巣市の「膝」「腰」「自律神経」専門の鍼灸院
うめはら鍼灸院
梅原知也
院長鍼灸の歴史
今回は三国志に登場する名医を紹介しましょう
華 佗(か だ - 西暦208年)
中国・漢の時代の薬学・鍼灸に優れた伝説的な医師・神医として知られています。
華佗には様々な記述が残っています
・養性の術に通暁しており、百歳に近いのに若々しかった
・麻酔を発明し、腹部切開手術を行った
・気功、太極拳の元となる動物の動きをまねた体操(五禽戯:ごきんぎ)を発明した
残っている記述の中でも、印象的なのが、
三国志で有名な曹操とのエピソードです。
曹操のお付きの医者となり、
持病であった頭痛やめまいの治療に当たっていました
しかし、当時の医者は待遇が低く、
華佗は「医書をとりに故郷に帰る」といい、
さらに「妻が病気だ」といって、曹操のもとに戻ろうとしなかった
妻の病気は嘘で、曹操がそれを突き止め、
曹操は怒って華佗を拷問の末に殺してしまう
牢獄の中で、持っていた医書を門番に渡したが、
門番の奥さんが、その医書を焼いてしまった
(なんともったいない!)
のちに、曹操は
「自分の頭痛を治せるのは華佗だけだったのに、
華佗を殺してしまった~」
と嘆きます。
さらに、その後、曹操の子供・曹沖が病に伏した時に、華佗が死んでしまっておらず、
曹沖を死なせてしまった時に
「なんで、華佗を殺してしまったんだ」
と後々まで後悔したと言われています。
もう一つ曹操が華佗を処刑してしまうエピソードがあって、
曹操の頭痛を、
「麻酔薬を飲み、斧で頭を割って、原因を取り除きましょう」と華佗が進言し、
(途中を省きます、)
「お前はわしを殺す気か」と怒り、やはり華佗を処刑してしまいます。
また、三国志の豪傑・関羽の治療では
毒矢が刺さった右腕の骨を削って治癒させています。
その手術の直後、骨を削られた関羽は酒を飲み、平然と碁を打っていたという
関羽の豪傑ぶりをあらわすエピソードにもなっています。
ほかにも、たくさんの記述が残されています。
少し脚色されているのを差し引いても、華佗は素晴らしい功績を残しています。
曹操の頭痛には、
「隔兪(かくゆ)」
という背中のツボが使われたという文献も見られます。
およそ、1800年前の三国志に登場する神医・華佗のお話でした。
施術室より
岐阜県本巣市の「膝」「腰」「自律神経」専門の鍼灸院
うめはら鍼灸院
梅原知也
院長鍼灸の歴史
中国医学の歴史は、本当に長いものですが、
現存する最古の医学書は
「足臂十一脈灸経」
というもので、写本しか残っていませんが、
馬王堆漢墓という紀元前168年に埋葬されたお墓から出土していて、
絹の布に書かれて発掘されました。
研究者によると、秦の時代(紀元前778年~紀元前206年)のものとされています。
中国医学を学ぶと、日本の歴史年表と中国の歴史年表を比べることがあります。
日本が紀元前200年ごろに稲作をやっと始めたころには、
すでに、中国は秦の始皇帝が中華を統一して、万里の長城を築いています。
文字の発達も早かったのでしょう。
一説には、民族が多すぎて、言葉が通じず、
文字(書面)で重要事項の通達などコミュニケーションをとる必要があったとのことです。
そして、文字を使って「まとめる」というのも古代中国の人々の偉業だと感じます。
とくに、
漢王朝の時代がすごい
紀元前206年から紀元208年ごろまでとされていますが、
この400年間に中世ヨーロッパの産業革命のごとく、もしくは近年のIT革命のごとく
イノベーションが起こったのでしょう
漢字
漢方薬
羅針盤
紙(パピルス紙よりも現在に近いもの)
ほかにもたくさんあります。
昨今の中国情勢は頭をかしげることがありますが、
この漢の時代を僕はリスペクトしています。
国が統一され、長期にわたり安定したことが文化を成熟させたともいわれます。
漢の時代のあと、激動の三国志の時代に突入します。
特に鍼灸の歴史としては
「黄帝内経(こうていだいけい)」
を外すことはできません
NHKスペシャルで放送された
「完全解凍!アイスマン ~5000年前の男は語る~」
という番組がありました(NHKの番組URL)。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20130324
この番組は大変好評で、何度も再放送されています。
僕も興味津々で食い入るようにみました。
3210メートルにあるエッツ渓谷(アルプスの氷河・イタリア・オーストリアの国境付近)から一体のミイラが発見されました。1991年のことです。
極寒の地で行き倒れたと推測され、奇跡的な保存状態でした。
皮の靴を履き、熊の毛皮の帽子をかぶり、斧を持ち、腰袋には乾燥させたキノコが入っていました。
このミイラは「アイスマン」と名づけられました。
測定をすると、5000年前の47歳前後、O型、乳糖不耐症(牛乳が苦手)だったとわかりました。
伝統文化やその当時の生活を類推できる至宝ともいえる貴重な資料となっています。
文化的な背景を知ることも大変重要ですが、
医学的な見地から、脳や内臓、骨、血管など149点ものサンプルを採取し、世界中の研究者による分析で大変興味深いことがわかってきました。
東洋医学的な立場から、このミイラを調査している医師(ドルファー博士)がいます。
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